京都に住んでいると、「西本願寺と東本願寺ってどう違うの?」という質問をよくいただきます。同じ浄土真宗なのにどうして2つあるの?焼香の回数は違うの?葬儀のときにどちらの作法で行えばいい?——そんな疑問を持ちながらも、なかなか答えにたどり着けない方は多いのではないでしょうか。
京都駅から歩いてすぐの場所に、堂々とした伽藍が2か所に分かれて存在しています。地元では西本願寺を「お西さん」、東本願寺を「お東さん」と呼ぶのですが、この2つがそれぞれ全国に何百万人もの門徒を持つ巨大な宗派であることを、初めて訪れた方は意外に感じるかもしれません。
実は、この2つのお寺はもともとひとつだったものが、戦国時代から江戸時代にかけての複雑な政治的経緯によって分かれた経緯があります。分裂の背景には、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という3人の天下人が深く関わっています。
この記事では、西本願寺と東本願寺がなぜ2つに分かれたのかという歴史的背景から、宗派名・お経・焼香・仏壇の違いといった実生活に直結する作法の違い、さらに観光客にも役立つ境内の見どころやアクセス情報まで、ひとつひとつ丁寧にまとめました。京都観光で訪れる方にも、法事や仏壇のことで気になっている方にも、きっとお役に立てる内容だと思います。
結論:西本願寺と東本願寺の違いを一言でまとめると
「お西さん」と「お東さん」とは?
京都の人々が何気なく使う「お西さん」「お東さん」という呼び方には、長い歴史と深い敬意が込められています。「お西さん」は西本願寺(正式名称:龍谷山本願寺、宗派名:浄土真宗本願寺派)のこと、「お東さん」は東本願寺(正式名称:真宗本廟、宗派名:真宗大谷派)のことを指しています。
この2つは、同じ浄土真宗の系統に属しながらも、約400年以上前に別々の組織として分かれた、独立した宗教法人です。現在も総本山として、全国にそれぞれ数千のお寺と数百万人の門徒を抱えています。
地理的には、西本願寺が京都駅の北西側(堀川通沿い)、東本願寺が京都駅の真北(烏丸通沿い)に位置しており、直線距離にすると1km程度しか離れていません。この近い距離で並び立つ2つの大本山が、似て非なる宗派であるというのは、なんとも京都らしい複雑さといえます。
同じ浄土真宗なのになぜ2つ存在するのか
一番シンプルな答えをいえば、戦国時代〜江戸時代にかけての「政治的な権力争い」によって、本願寺が2つの組織に引き裂かれたというのが理由です。信仰上の根本的な対立(教義の違い)が原因で分かれたわけではなく、あくまでも権力をめぐる内部対立と、時の権力者による介入が主な原因でした。
とはいえ400年以上が経過した現在では、教義の解釈・作法・仏具・組織運営まで、さまざまな面でそれぞれの独自スタイルが確立されています。「大本は同じだけど、今は別の宗派」と理解しておくと、この後の説明がぐっと分かりやすくなるかと思います。
浄土真宗とは?西本願寺・東本願寺を知る前に
親鸞聖人と浄土真宗の始まり
浄土真宗を語るうえで欠かせないのが、鎌倉時代の僧・親鸞聖人(1173〜1262年)です。親鸞は法然上人のもとで浄土宗を学んだ後、独自の思想を展開しました。その核心は「他力本願」という考え方です。
「他力本願」という言葉は現代では「他人任せ」という意味で使われることもありますが、本来の意味はまったく違います。阿弥陀仏の本願(誓い)の力に身をゆだねることで、すべての人が救われるという教えです。厳しい修行や戒律を重ねなくても、ただ「南無阿弥陀仏」と念仏を称えることで往生できるとしたこの教えは、当時の庶民に大きく受け入れられました。
親鸞聖人は越後(現在の新潟県)への流罪という苦難を経験しながらも、関東各地で布教活動を続け、晩年は京都に戻り90歳近くまで著述活動を行いました。
本願寺の名前の由来と本願寺の興隆
「本願寺」という名前は、阿弥陀仏の「本願」(すべての命を救うという誓い)に由来しています。親鸞の死後、その廟所を守るために建てられたのが本願寺の起源です。その後、親鸞の曾孫にあたる覚如(かくにょ)が廟堂を「本願寺」として寺院の体裁を整え、組織化が進んでいきました。
さらに大きな発展をもたらしたのが、第8世・蓮如(れんにょ)です。蓮如は「御文(おふみ)」と呼ばれる平易な手紙文を書いて全国の門徒に配布し、浄土真宗の教えを民衆レベルにまで広めました。蓮如の活躍により、本願寺は北陸を中心に爆発的な勢力拡大を遂げ、やがて戦国大名と対等に張り合えるほどの力を持つ組織へと成長していきます。
日本で最も門徒が多い宗派のひとつ
現在の日本仏教の中でも、浄土真宗は際立って多くの信者を持つ宗派です。以下は主な浄土真宗系宗派の信者数(文化庁「宗教年鑑」より概数)です。
| 宗派名 | 総本山 | 寺院数(概数) | 信者数(概数) |
|---|---|---|---|
| 浄土真宗本願寺派(お西さん) | 西本願寺(京都) | 約10,300 | 約700万人 |
| 真宗大谷派(お東さん) | 東本願寺(京都) | 約8,700 | 約500万人 |
| 浄土真宗(その他派) | 各地 | 数百〜数千 | 合計数百万人 |
この表を見ると、西本願寺派・東本願寺派だけで合わせて1,200万人以上の信者が存在するという、圧倒的な規模感が伝わります。
日本全国の葬儀や法事でよく「浄土真宗のお寺さんに来てもらっている」という家庭は非常に多く、特に北陸・近畿・中国地方などでは浄土真宗系の寺院が地域コミュニティの中心にあるケースも少なくありません。つまり、西本願寺・東本願寺の違いを知ることは、単なる歴史の話ではなく、日本人の日常生活に関わる実践的な知識でもあります。
西本願寺と東本願寺に分かれた歴史的背景
本願寺の始まりと廟堂から寺院へ
本願寺の起源は、1272年に造られた親鸞聖人の廟堂(京都・東山の大谷)にさかのぼります。当初はあくまでも親鸞を供養するための「廟所」でしたが、第3世の覚如の時代に本願寺という名を名乗り、寺院として組織化されました。
その後、比叡山延暦寺や他の仏教勢力との軋轢を避けながら拠点を転々と移し、蓮如の時代(15世紀後半)に山科(京都市山科区)に壮大な本山を建立。しかし1532年、法華宗徒たちによって山科本願寺は焼き討ちされてしまいます。その後、現在の大阪に「石山本願寺」を構え、ここが次の歴史の舞台となっていきます。
織田信長との対立と石山合戦
戦国時代に入り、本願寺は単なる宗教組織を超えた政治・軍事勢力として存在感を発揮していました。全国に百万単位の門徒を抱える本願寺は、天下統一を目指す織田信長にとって、最大の障壁のひとつでした。
1570年から1580年にかけて行われた「石山合戦」は、本願寺第11世・顕如(けんにょ)が率いる本願寺と、織田信長の軍が約10年にわたって争った歴史的な大戦です。石山本願寺(現在の大阪城跡地付近)は難攻不落の要塞として信長軍を苦しめ続けましたが、最終的には正親町天皇の勅命(天皇の命令)という形で和議が成立し、顕如は石山を退去することになりました。
「信長に従うか、反抗するか」で生じた和戦派と抗戦派の分裂
石山合戦の和議をめぐり、本願寺内部に深刻な亀裂が生じました。顕如が和議に応じたことに対し、顕如の長男・教如(きょうにょ)はあくまでも抗戦を続けるべきだと主張して退去を拒みました。
これが東西分裂の直接的な火種となります。父・顕如と子・教如の間には、信長への姿勢をめぐる深い対立が生まれ、顕如は教如を廃嫡(後継者から外す)して次男の准如を後継者に指名しました。この「和戦派vs抗戦派」の対立構図が、その後の権力者たちに利用されていくことになります。
豊臣秀吉の介入と西本願寺の成立
信長の後を継いだ豊臣秀吉は、本願寺の勢力をうまく利用しようと考えました。顕如(および准如)を支持した秀吉は、1591年に京都の現在地(七条堀川)に土地を寄進し、西本願寺を建立させます。これが現在の「西本願寺」の直接の起源です。
一方、廃嫡された教如は浪人状態に近い形でしばらく活動を続けていました。この教如に目をつけたのが、次の天下人・徳川家康です。
徳川家康の政策と東本願寺の成立
徳川家康が江戸幕府を開いた直後、家康は准如(西本願寺)に対抗させる形で教如を支援しました。家康が教如を支持した理由は、本願寺の力を二分し、宗教勢力が一枚岩になって幕府に対抗することを防ぐためだったと考えられています。
1602年、家康は教如に対して烏丸七条付近の土地を与え、ここに「東本願寺」が成立しました。これが東西分裂の公式な起点です。西本願寺から東に数百メートルの場所に、もうひとつの本願寺が誕生したことで、「西」「東」という区別が生まれました。
江戸時代の東西本願寺の対立と冷戦
江戸時代を通じて、東西本願寺は門徒の獲得をめぐって激しく競い合いました。特に北陸・東北・北海道など新たに開拓された地域では、両宗派の布教合戦が繰り広げられています。
幕府は意図的に両者のバランスを保ちながら管理し、一方が強くなりすぎないよう牽制する政策を取り続けました。こうして「仲の悪い兄弟」のような関係が400年近く続き、お互いの門徒が親戚でも結婚式や葬儀をめぐって気まずくなるというエピソードも、地方では珍しくなかったといわれています。
現在の東西本願寺の関係性と和解への歩み
現代に入り、東西本願寺の関係は大きく改善されています。1999年には東西本願寺の代表者が初めて公式に会談を行い、「同じ親鸞聖人の教えを受け継ぐ同朋として協力していく」という方向性が確認されました。
2023年は親鸞聖人の生誕850年にあたり、両宗派がそれぞれに記念行事を催しました。完全な統合はなく、それぞれが独立した宗教法人として運営されていますが、対立というよりは「同じルーツを持つ別々の組織」という関係性が現在の実情です。
西本願寺と東本願寺の違い:宗派・教義・作法
宗派名の違い(本願寺派と真宗大谷派)
まず基本的な名称の違いから整理しておきましょう。
| 項目 | 西本願寺(お西さん) | 東本願寺(お東さん) |
|---|---|---|
| 正式名称(寺) | 龍谷山本願寺 | 真宗本廟 |
| 宗派名 | 浄土真宗本願寺派 | 真宗大谷派 |
| 門主の称号 | 門主(もんしゅ) | 門首(もんしゅ) |
| 本山の通称 | 西本願寺・お西さん | 東本願寺・お東さん |
「浄土真宗本願寺派」と「真宗大谷派」はどちらも広い意味での「浄土真宗」ですが、法的には別々の宗教法人です。一般に「浄土真宗」という言葉は本願寺派が商標的に使っており、大谷派は「真宗大谷派」という名称を正式に使っています。
また、門主と門首という漢字の違いも注目ポイントです。西本願寺は「主」、東本願寺は「首」を使います。これは単なる字の違いではなく、それぞれの宗派内での考え方の違いを反映しています。東本願寺では法人のトップとして「首」という字を選び、組織としての側面を強調しているとも解釈されています。
お経・念仏の違い
読まれるお経の種類や発音には微妙な違いがあります。両宗派とも浄土真宗の主要な経典(阿弥陀経・無量寿経・観無量寿経など)を使用していますが、読み方のリズムや抑揚に独自の節回しがあり、慣れた人には聞き分けられるほどの差があります。
念仏「南無阿弥陀仏」の称え方も、東西でわずかに異なります。西本願寺派では「なもあみだぶつ」、東本願寺派では「なむあみだぶつ」と称えることが多いといわれています。ただしこれも地域や法要の場によって変わることがあるため、絶対的な違いとまでは言い切れません。
焼香(お焼香)の回数・作法の違い
葬儀や法要で最も実践的な違いが、焼香の回数です。西本願寺派は1回、東本願寺派は2回が基本とされています。
| 項目 | 西本願寺(本願寺派) | 東本願寺(大谷派) |
|---|---|---|
| 焼香の回数 | 1回 | 2回 |
| 額への押しいただき | しない(押しいただかずそのままお香をくべる) | しない(同様) |
| 焼香の作法の特徴 | お香をつまんでそのまま香炉へ | お香をつまんでそのまま香炉へ(2回) |
浄土真宗の焼香では、どちらの宗派も「額に押しいただかない(おでこに持っていかない)」という点が他宗派との大きな違いです。他の仏教宗派では押しいただく所作が一般的ですが、浄土真宗では「仏様に感謝して、そのままくべる」というシンプルな作法を取ります。
回数の違いについて「なぜ1回と2回に分かれているのか」という理由は実は諸説あり、明確な根拠が記録されているわけではありません。宗派内の慣習として定着してきたものと考えるのが自然です。法事でお焼香のタイミングが来たときに困らないよう、自分が檀家になっているお寺の宗派を事前に確認しておくと安心できます。
数珠のかけ方の違い
数珠の持ち方・かけ方にも違いがあります。西本願寺派では両手を合わせた状態で数珠を親指にかけるのが基本で、房(ふさ)を下に垂らします。東本願寺派では左手の親指と人差し指の間にかけ、房を下に垂らすのが正式な作法とされています。
どちらも「浄土真宗用の二重にした数珠(二輪数珠)」を使用する点は共通です。法要の席では周囲の方の持ち方を参考にしてもよいですし、分からない場合はお寺の方に聞いてしまうのが一番です。
ご本尊の違い
両宗派ともご本尊は阿弥陀如来(阿弥陀仏)であり、これは共通しています。ただし、仏像の形や仏画(絵像)のスタイルが微妙に異なります。
西本願寺派では阿弥陀如来の立像を用いることが多く、東本願寺派では「南無阿弥陀仏」と書かれた「名号(みょうごう)」の掛け軸を本尊とするケースが多いとされています。ただしこれも地域差や各寺院の方針によって異なるため、一概には言えません。
仏壇・仏具の違いと一発で見分ける方法
仏壇の造りや仏具にも特徴的な違いがあります。最も分かりやすいのは「仏壇の柱の色」と「蓮の花びらの向き」です。西本願寺派の仏壇は金色の柱が多く、東本願寺派は黒い柱を持つタイプが多いとされています。
また、仏具の中の「花瓶(かびん)」や「火舎香炉(かしゃこうろ)」の形状にも宗派ごとの違いがあり、お仏壇店では宗派を確認してから仏具を選ぶのが基本です。仏壇を新しく購入する場合は、必ず自分の宗派・宗派の寺院に確認してから選びましょう。
お線香の作法の違い
お線香の立て方にも違いがあります。他の多くの宗派では線香を立てて香炉に挿しますが、浄土真宗では線香を横に寝かせて置く(折って2〜3本にする)「寝かせ香」が基本です。これは西本願寺派・東本願寺派のどちらにも共通しています。
細かい作法は宗派や地域によって若干の差がありますが、「立てずに寝かせる」という基本は浄土真宗全体に共通した特徴です。他の宗派のお宅に参拝するときとは異なる作法なので、初めての方は戸惑うかもしれませんが、慌てず周囲の方を見習えば大丈夫です。
御文章(御文)とは?西本願寺と東本願寺での違い
「御文章(おふみしょう)」または「御文(おふみ)」とは、前述した蓮如上人が書いた手紙文です。法要の際にこの文章を読む慣習があり、浄土真宗ならではの風習として知られています。
西本願寺派では「御文章」、東本願寺派では「御文」という呼び方が一般的です。内容は基本的に同じ蓮如の手紙文ですが、収録されている文の選定や読み上げる場面が宗派によって若干異なります。葬儀や彼岸法要の席でお坊さんが読まれているのを聞いたことがある方も多いかと思います。
西本願寺と東本願寺の違い:葬儀・法要の作法
浄土真宗の葬儀の基本的な特徴
浄土真宗の葬儀は、他の宗派とは大きく異なるいくつかの特徴があります。最も重要な点は「死後すぐに成仏する(即身成仏)」という考え方です。
- 「引導を渡す」儀式がない(すでに往生が決まっているため)
- 故人に「戒名」ではなく「法名(ほうみょう)」を付ける
- 「清め塩」を使わない(死を穢れとしないため)
- 「冥福を祈る」「成仏してください」という表現を使わない
「清め塩を使わない」「冥福を祈るという言葉を使わない」という点は、知らずに他宗派の慣習を持ち込んでしまうことがあるため注意が必要です。葬儀の受付でお塩を渡されても、浄土真宗の葬儀では使わなくて構いません。
西本願寺(本願寺派)の葬儀の作法
西本願寺派の葬儀では、焼香を1回行います。「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」の念仏を称え、阿弥陀如来への感謝と帰依を表す形で式が進みます。
法名は院号(いんごう)をつける場合は「〇〇院釋△△」「〇〇院釋尼△△」のように表記します。男性は「釋(しゃく)」、女性は「釋尼(しゃくに)」を法名の前につけるのが西本願寺派の特徴です。
東本願寺(真宗大谷派)の葬儀の作法
東本願寺派の葬儀では、焼香を2回行います。「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と念仏を称えます。法名の表記も西本願寺派と共通して「釋(しゃく)」を使いますが、東本願寺派では院号を「〇〇院」のように付ける場合の表記の仕方がやや異なるケースがあります。
どちらの宗派においても、戒名(他の宗派で使う表現)ではなく「法名」と呼ぶことが正式であり、これは葬儀や仏壇に関わる場面では特に大切な言葉の使い分けです。
お盆・年忌法要など主な行事の違い
| 行事 | 西本願寺(本願寺派) | 東本願寺(大谷派) |
|---|---|---|
| お盆(盂蘭盆会) | 歓喜会(かんぎえ)と呼ぶことも | お盆として実施(歓喜会ともいう) |
| 年忌法要 | 一周忌・三回忌…(共通) | 一周忌・三回忌…(共通) |
| 報恩講(ほうおんこう) | 11月21〜28日(御正忌報恩講) | 11月21〜28日(御正忌報恩講) |
| 春・秋の彼岸 | 彼岸法要を行う | 彼岸法要を行う |
主要な行事は東西でほぼ共通していますが、「報恩講(ほうおんこう)」は浄土真宗で最も重要な法要のひとつです。親鸞聖人の命日(旧暦11月28日)を縁として、その恩に報いる意味で行われます。京都の両本願寺では、この時期に多くの門徒が全国から集まります。
お盆については、浄土真宗では「先祖の霊が帰ってくる」という考え方を取らないため、他の宗派とはやや異なる意味合いで行事が行われます。先祖への感謝と、阿弥陀仏の教えを味わう機会として位置づけるのが浄土真宗流のお盆の考え方です。
西本願寺と東本願寺の境内・見どころを比較
西本願寺(龍谷山本願寺)の場所・見どころ
西本願寺は京都市下京区堀川通花屋町にあり、1994年にユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」のひとつに登録されています。国宝・重要文化財を多数有する、格式高い境内です。
特に見ておきたいのが「御影堂(ごえいどう)」と「阿弥陀堂」の2棟です。御影堂は親鸞聖人の木像を祀る堂で、間口62m・奥行48mという巨大な空間に圧倒されます。建物内に入ることができ、畳の上に座って静かにお参りできる体験は観光客にも人気です。
境内には「飛雲閣(ひうんかく)」という国宝の楼閣建築もあります。金閣・銀閣と並んで「京の三閣」と呼ばれる建物ですが、通常は外観のみの見学となっている点には注意が必要です。
東本願寺(真宗本廟)の場所・見どころ
東本願寺は京都市下京区烏丸通七条にあり、京都駅から徒歩約5分という抜群のアクセスを誇ります。御影堂は世界最大級の木造建築のひとつとされており、その圧倒的なスケールは訪れた人を驚かせます。
東本願寺の近くには「渉成園(しょうせいえん)」という池泉回遊式庭園があり、こちらは一般公開されています(維持協力費あり)。四季折々の景色が美しく、春の桜や秋の紅葉の時期は特に見ごたえがあります。
境内への入場は無料で、年中開放されています。観光旅行の合間に立ち寄りやすく、朝早い時間帯はとても静かで清々しい雰囲気を楽しめます。
境内の雰囲気・建築様式の違い
両者を訪れた印象を正直に言うと、西本願寺はどちらかというと「観光寺院としての整備が進んでいる」雰囲気があり、世界遺産の看板や案内板が充実しています。訪れる外国人観光客も多く、賑やかな活気があります。
東本願寺は京都駅から非常に近い立地でありながら、境内はどこか落ち着いた生活感があります。門徒さんが普段通りに参拝している光景に出会えることも多く、「現役の宗教施設」としての雰囲気をより強く感じられます。建築規模は東本願寺の御影堂の方が大きく、初めて見た方はその巨大さに息をのむはずです。
アクセス方法の比較
| 項目 | 西本願寺 | 東本願寺 |
|---|---|---|
| 住所 | 京都市下京区堀川通花屋町下ル | 京都市下京区烏丸通七条上ル |
| 京都駅からの距離 | 徒歩約15〜20分 / バス約5分 | 徒歩約5〜7分 |
| 最寄りバス停 | 西本願寺前(市バス9・28・75番など) | 烏丸七条(市バス各系統) |
| 参拝時間 | 5:30〜17:00(季節により変動) | 5:50〜17:30(季節により変動) |
| 入場料 | 無料 | 無料(渉成園は維持協力費あり) |
| 駐車場 | あり(有料) | あり(有料) |
東本願寺は京都駅から最も近い大寺院のひとつなので、観光の最初や最後に立ち寄るのにとても便利です。一方、西本願寺は少し歩く必要があるものの、堀川通沿いを歩く途中に昔ながらの京都の街並みを楽しめます。両方まとめて訪れる場合は、東本願寺→西本願寺の順に回ると無駄なく動けます。
よくある疑問Q&A:西本願寺と東本願寺について
西本願寺と東本願寺が分かれた理由は?
大きくまとめると、石山合戦(織田信長vs本願寺)の和議をめぐって本願寺の内部が「和戦派」と「抗戦派」に割れ、その後の豊臣秀吉・徳川家康という権力者の介入によって正式に二分されたことが原因です。
教義の根本的な対立が原因ではなく、政治的な権力争いと後継者問題が分裂の直接的な引き金でした。この点を理解しておくと、「なぜ同じような教えなのに2つあるのか」という疑問がすっきり解消されます。
どちらの宗派の門徒が多い?
先述の通り、寺院数・信者数ともに西本願寺(浄土真宗本願寺派)の方が若干多い傾向があります。ただし、地域によって大きく異なります。たとえば北海道や東北など開拓期に東本願寺派が積極的に布教した地域では、東本願寺派の割合が高くなっています。
自分の家がどちらの宗派かよく分からない場合は、菩提寺(普段お世話になっているお寺)に確認するのが確実です。仏壇の仏具の形や、いただいたお経本の宗派表記なども参考になります。
西本願寺と東本願寺は今も仲が悪いの?
「仲が悪い」というほどの対立は、現代ではほとんど見られません。1999年以降、公式な会談や協力関係が少しずつ進んでおり、共同で社会活動に取り組む場面も増えています。
ただし、組織としては現在も完全に独立した宗教法人として運営されており、合併や統合の具体的な動きはありません。互いを尊重しながら、それぞれの道を歩んでいるというのが現状といえます。
浄土真宗のお墓はどのように建てる?
浄土真宗のお墓には、他の宗派にはない独自のルールがあります。代表的なのは「南無阿弥陀仏」や「倶会一処(くえいっしょ)」という文字を墓石に刻むことが多いという点です。「倶会一処」は「阿弥陀仏の浄土で再び会いましょう」という意味を持ちます。
また、「〇〇家之墓」だけではなく、法名を刻んだ墓碑名を用意するケースも多くあります。お墓の建立にあたっては菩提寺の住職に相談するのが最も確実です。東西の宗派でお墓の形式に大きな違いはありませんが、仏具や卒塔婆の扱いが宗派によって異なるため、やはり事前確認が大切です。
まとめ:西本願寺と東本願寺の違いを正しく理解しよう
西本願寺と東本願寺は、もともと親鸞聖人の廟所を起源とするひとつの本願寺が、戦国〜江戸時代の政治的対立によって2つに分かれた宗教組織です。信仰の根本は同じ浄土真宗の「他力本願」の教えですが、400年以上の時間をかけてそれぞれの作法・慣習・組織文化が形成されてきました。
日常生活で特に役立つ違いのポイントを振り返ってみましょう。焼香は西本願寺派が1回・東本願寺派が2回、宗派名は「浄土真宗本願寺派(西)」と「真宗大谷派(東)」、法名の表記や仏壇の造りにも違いがあります。葬儀では「清め塩を使わない」「法名と呼ぶ(戒名とは言わない)」という浄土真宗共通の特徴を押さえておくことが大切です。
京都観光として訪れる場合は、両者をセットで見学するのがおすすめです。東本願寺は京都駅からすぐの好立地で、渉成園という美しい庭園も近くにあります。世界遺産の西本願寺は、国宝の御影堂・阿弥陀堂の壮大なスケールをぜひ体感してみてください。どちらも入場無料で、観光客にも地元の方にも広く開かれた場所です。
自分の家の宗派が「お西さん」なのか「お東さん」なのかを知っておくことは、いざ法事や葬儀のときにきっと役に立ちます。分からない場合はお気軽に菩提寺に問い合わせてみることをおすすめします。京都の街に根づいたこの2つのお寺に、ぜひ一度足を運んでみてください。

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